2014年4月3日木曜日

ひとまず終了宣言

終了宣言。
ここにきて、僕のジャーナリストになりたいという希望を捨てることを宣言する。
今までのぱっとしない記事、そして何よりも書いていて全く踊らぬ自分の胸を鑑みて、僕はもともとジャーナリストに心からなりたいと思ったことなどなかったことに気づいた。才能がないだけではない。気質がないのだ。ただ父という存在が、矢印をもたぬ僕の頭に、ジャーナリストという職業を思い付かせていただけに過ぎなかったのだ。だからもう嫌な文章は書かない。正直、清々した。

僕の読んでいる小説に、サマセット・モームの「人間の絆」という作品がある。そこに出てくる主人公の青年は画家の道を目指していたが、ある日、自分の才能に疑いを向けるようになる。そこで、彼は勇気を出して有名な画家の先生に自分の渾身の作品を見てもらい、自分の才能の有無を訊ねた。すると、その先生はこう答えた。

「君には一流の才能はない。しかし、手先は器用だから金持ちの肖像を描く二流画家として食べてはいけるだろう。だからいっておく。今すぐこの道には見切りをつけて、何か他の道に自分の才能を見いだしていった方だいい。もし自分が君の若さでこのアドバイスを受けていたら、喜んですぐに他の道を探しにいっただろう。」

青年は、パリの場末のバーでたくさんの道に破れた者たちを見てきた。彼らは皆、自分の中にある才能を信じ続け、それが存在しないと気づいたときには、もうすでに年を取りすぎていた。彼はこのアドバイスに従い、2年間の修行の後に、画家を諦めて故郷に帰った。

青年は、今の僕とちょうど同じぐらいの年齢だ。
実は、その続きはまだ読んでいない。彼はいま医者の道を選び、医学校に通っているところだ。しかし、彼が医者になるのかは僕にはまだわからない。早いうちに読み終わって、彼の人生からヒントをもらわなければと思っている。どのみち、僕もはやく次の道を探し、またぶつからなければならないのだろう。

ちなみに、これからも日記や趣味として、気が向いたら更新していく。
ただ、今度は自分のためだけに。

2014年3月21日金曜日

アメリカの大学新聞にも「アンネの日記事件」




うちの大学は小さいながらも、割と本格的な大学新聞がある。
紙面は全部で6面と少ないが、大学や地域で起きたローカルな出来事から、グローバルなニュースまで幅広く取り上げている。

月に1度ぐらいの割合で刊行されるので、カフェテリアに積まれているのを見つけると寮に持って帰る。それで朝はやく目が覚めてしまったときなどに読むのだ。


いつもはさして目に留まるような記事はないのだが、今月は違った。
グローバル面に、日本の「アンネの日記」破損事件が取り上げられていたのだ。アメリカの小さな大学の、しかもたった6面しかない新聞に取り上げられるのだから、よっぽど国際的に注目されているのだろう。


もちろん、事件は日本の右傾化と関連づけられて語られていた。犯人の動機は未だにわからないとは書いてあったものの、

日本政府の右傾化が、市民の中にも右翼団体の形成を促し、それらが事件を起こした可能性がある

と、まとめてあった。

しかし、一体何を根拠に、この事件を「右傾化」と結びつけているのだろうか。日本の報道もそうであるが、確たる証拠は何もない。
逆に言えば、この「右傾化」との根拠なき結びつけこそ、日本のナショナリズム勃興に対する国際社会の不安の大きさが現れているのではないか。


アメリカ人の友達に意見を求めても、日本人の僕に遠慮しているのか、なかなかはっきりとした意見を言わない。しかし、みんな日本の右傾化が進んでいることに関しては、事実だと思っているみたいだ。

アメリカの歴史教育において、日本は“パールハーバー”や“カミカゼ”など、狂信的なナショナリズムと結びつけられて語られている。このイメージも、日本に潜在的な国粋主義の気質があるのではないかという疑念を起こしている一因ではないだろうか。


ちなみに、右傾化と結びつけられた「アンネの日記」事件だが、これが日本で報道されるのと海外で報道されるのには天と地ほどの差がある。日本では、受け手が日本人や日本に住む外国人であるため、報道をわりと批判的に見ることができる。

「ニュースでこうは言ってるけど、実際自分は違うし、周りの人もそうじゃないよね」

そういう“実際”を知っているから、落ち着いた反応ができる。

しかし、海外ではこうはいかない。受け手は異国の外国人であり、“実際”の日本人を知らない。そのため、日本全体が右傾化していると受け取ってしまうのだ。こういう評価は、国際社会での日本の信用に大きく関わる。それは外交だけでなく、旅行者である我々にも降りかかってくる問題だ。

大事なのは、日本全体が右傾化しているわけではなく、それは安倍ちゃんや一部のネトウヨたちだけであり、冷静な人が大半だよということを海外にも知ってもらうことだ。

そして、そんな海外の大学にいる僕にできることは、ひとりの日本人として、このことを身をもって伝えることだろう。

「僕が実際に会った日本人は、右傾化を問題視し、自分の家族や友達はそうではないと言っていたよ」

そういう経験をしてもらうこと。それこそが、国際社会における日本の信頼を取り戻すことに繋がるのだと信じている。

確かに、こういう問題は僕が遠慮されたように、非常に議論しにくい現実がある。議論しようと思ってもできないことだってあろう。それでも、他にできることはある。すごく基本的なことだけど、“人に優しく”だ。メディアから得たイメージなんて、現実を前にしたら一蹴される。それは良くも悪くもだ。もしかしたら自分の作ったイメージひとつで、爆弾が落ちるか落ちないかが決まると、極端だけど、そう思っておく。

2014年3月16日日曜日

我が寮で3Dプリンターが誕生した!

同じ寮に住むエンジニアの卵、ダニエル君がとんでもないことをやらかした。
なんと、寮で3Dプリンターを組み立ててしまったのだ。

3Dプリンターというと、僕にとってはまだどこか未来のような話でもあり、最新鋭の工場や研究所にあるイメージだった。しかし、それを田舎にある、しかも偏差値のあまり高くない大学の寮で、一人の学生が組み立ててしまったのだ。ダニエル君も少しはすごいのかもしれないが、何よりも3Dプリンターが自宅で簡単に作れてしまうことが衝撃的だった。

早速、実際にこの3Dプリンターを使ってカメラのレンズキャップホルダーが完成するまでの過程を、写真とともに紹介しよう。


レンズキャップホルダー(定価1480円)




これが3Dプリンター



そしてこの手作り感。



①設計図のデータをダウンロードする
何を作りたいか決まったところで、まずその設計図のデータを手に入れなくてはならない。これを自分で作るのはなかなか専門知識が必要そうだが、案ずることはない。3Dプリンターで作れる様々な物のデータを無料でダウンロードできるサイトがあるのだ。アメリカの「makerbot Thingiverse」というサイトでは、様々なユーザーたちが自分たちの自作の設計図のデータを無料でシェアしている。ここで自分の好きな物を探し、クリックして
ダウンロードするだけである。ちなみに、このようなサイトは他にもたくさんあり、中にはアダルトグッズのデータ専門のサイトもあるらしい。。。


左のPC画面にあるのが設計図のデータ



②3Dプリンターと繋がっているパソコンで「スタート」を押す
それであとは待つだけ。ちなみに今回のレンズキャップは40分ぐらいかかった。ノズルの動きは速いのだが、その物体の体積を埋めていかなければならないので時間がかかるのだ。

ちなみに、普通のプリンターでいうインクの役割を果たすのが、このプラスチックのケーブル。これを溶かしてくっつけていく。イメージ的には、あの誰もが一度は図工で使ったであろうホットボンドに似ている。




プラスチックケーブル
(他の素材も売ってるらしい)


では、その作業工程をみていこう。


まず最初に、底の枠をプリントアウトしてゆく


次に、その枠の中を埋めていく


一層目が終わると、次はこの上に2層目を作っていく。
この
①枠組みを作る
②枠の中を埋める
③次の層へ
というパターンを何度も繰り返し、プリントしていくのだ。


30分後

そして約40分後・・・


完成!!


キャップもぴったり!

これはもう本当にすごい。欲しかったレンズキャップホルダーが手に入ってもう大興奮である。もし店で買っていれば、このプラスチックの塊ごときに1480円近く払うことになっていただろう。彼らは商売あがったりだ。

製造業者からすると、こんなに恐ろしい発明はないだろう。もはやプラスチックの製品ならなんでも個人が作れてしまうのだ。近い将来、技術の発展によって現存する多くの職業はなくなってしまうという話を聞いたが、それを実感した。

ダニエル君に聞くと、彼は1200ドルでこのキットを買い、付いてきた説明書とインターネットを使って組み立てらしい。1200ドルは日本円でいうと12万円ぐらいだから、値段的には決して安くない。しかし、ノートパソコンが買えるぐらいの庶民なら手が届く範囲ではある。ちなみに、完成済みの3Dプリンターは2800ドルもしたが、技術の発展するスピードとそれに伴う低価格化(ムーアの法則)を考えると、東京オリンピックを迎えるときには、多くの市民の自宅に3Dプリンターがあるのではないかと思う。

しかもさらにすごいことには、この3Dプリンターは自分で自分を複製することができるのだ。もちろん金属の部分やチップなどは別だが、プラスチックでできている部分はすべて作れてしまう。実際にダニエル君の買ったプリンターの部品も、プラスチック部分は3Dプリンターで作られている。

なんだかターミネーターみたいな話になってきた。
せっかく作ったが、征服される前に、この3Dプリンターを壊しておこうか。

2014年3月14日金曜日

アメリカ政治学者とスーパーヒーロー




現在、カリフォルニア大学で「アメリカ政治入門」という授業を取っているのだが、外国の政治をその国で学ぶという経験はとてもおもしろいものだ。アメリカ人が自国についてどのように考えているのかを生で感じられるのは、留学生に与えられたすばらしい特権であろう。ついこの前の授業でもそれを感じた。


その日の授業では、アメリカの二党制について学んでいた。大教室の真ん中に座り、他の生徒たちと一緒に、前のスクリーンに表示されるスライドを必死に書き写す。この様な“黒板を写すだけ”の受け身な授業は、日本だけでなく、アメリカでも普通に存在している。そんな退屈な講義に耐えていると、教授のある解説が耳に入ってきた。

「現在のリベラル/コンサバティブが両極端に別れている状態では、物事がなかなか決まらず、国の外交を進める際に支障をきたします。これでは、他の追随を許さない圧倒的なスーパーパワーを持つアメリカが、世界からテロを撲滅する使命もうまく果たせません

僕のスライドを写す手がふと止まる。
・・・いま何かすごいことが聞こえたような気がする。

「これでは、他の追随を許さない圧倒的なスーパーパワーを持つアメリカが、世界からテロを撲滅する使命もうまく果たせません」

うん、間違いない。教科書の同じ箇所にも、同じようなことが書いてある。しかも、この言葉に違和感を受けているのは、150人の大教室で僕ひとりのようだ。

おそらくトレーニングを欠かさずやっているのだろう。このえらく胸筋の発達した白人の男性教諭の台詞には、とてつもない正義感と絶対的な自信が溢れている。政治家だけでなく、アメリカの政治学者たちも、この“スーパーヒーロー気質”を持っているのかと思うと、少しげんなりする。


僕の経験上、アメリカ人はほぼ全員、例外なくスーパーヒーローが好きだ。その数もスーパーマンやバットマン、キャプテン・アメリカやアイアンマンなど、挙げていけば枚挙にいとまがない。2012年に公開されたヒーロー物の映画『アベンジャーズ』の興行収入は、アバターとタイタニックに次いで歴代3位だ。日本でウルトラマンや仮面ライダーがこれだけの成績をあげることは考えられない。

大学内を歩いていて、スーパーヒーローがデザインされているT-シャツを来ている学生に会う日は、3日に1度はある。

このアメリカ人のスーパーヒーロー好きも、彼らのスーパーヒーロー気質と深く関係しているように思える。

「世界の悪者は、僕たちがスーパーパワーでやっつけるんだ!」

その心意気はとても心強いのだが、現実の世界は映画のように一枚岩ではない。

この前ルームメイトとサマータイム(夏時間)について話していた。
「日本にはないから、なかなか適応するのが大変だよ」と僕が言うと、彼は非常に驚いた顔で「え、世界共通なのかと思ってた!」と言った。アメリカは多様に見えて、実は大きな大きな島国なのだ。むしろ多様な人種の中で暮らしていると、自分たちの価値観が世界基準だと思い込んでしまうのかもしれない。現に、そのルームメイトはチャイニーズアメリカンだ。

アメリカの政治学の教授たちは、自国の政治についてはとても批判的に考える。しかし、自国の正義感に関しては、考える余地もない“前提”としてしまっている。さらに困ったことには、彼らは実際にスーパーパワーを持っているのだ。

この“前提”を批判的に見ない限りは、これからも永遠に、アメリカはテロと戦い続けるのだろう。いや、まて。もしかしたら、そのスーパーヒーローであり続けることが、彼らの望みなのかもしれない。。。


2014年3月13日木曜日

「鏡を見るアメリカ人」を見る




現在、カリフォルニア大学で「アメリカ政治入門」という授業を取っているのだが、外国の政治をその国で学ぶという経験はとてもおもしろいものだ。なんせ、アメリカ人がアメリカについて学んでいるところを盗み見できるのだから!!

こうして鏡を見るアメリカ人が見られるのは、留学生のみに与えられた最もすばらしき特権であろう。アメリカの政治学者たちがアメリカという国家をどう見て、それをどう学生に教育しているのか、僕の見てきたことをいくつかまとめておこう。


まず授業では、アメリカ政治の仕組みを解説する700ページにも及ぶ分厚い教科書と、アメリカ政治に関する様々な分野の研究をまとめた論文集を使っている。教科書は何人かの教授による共著であり、“自称”中立的なスタンスで書かれているが、論文集には様々な研究者の多様な意見が載っている。

これらの本を読んで思うことがひとつ。それは、アメリカ政治学者の「民主主義」(Democracy)と「憲法」(Constitution)に対する絶対的なプライドだ。学者たちはみんな「民主主義」と「憲法」に誇りを持っており、その誇りはアメリカ政治の基盤を成している。どんなに対立する議論があっても、それは必ず「民主主義」と「憲法」の土台の上で行われ、その土台を崩すような議論はあり得ないのだ。


それを強く表しているのが教科書だ。
教科書の第1章は、“民主主義とは何か”についてである。ここでは他の政治的イデオロギーの説明はごく僅かにし、主に民主主義とその細かいタイプについて説明している。読んでいて、「民主主義っていう前提は当たり前だよね」という空気を感じるが、アメリカ政治を教える上でそこまで他のイデオロギーに踏み込む時間はないのかもしれない。

ちなみに、アメリカでは共産主義や社会主義は罵倒の対象である。みんな特にその意味は知らないが(僕の周りの友達がおめでたいだけかもしれないが)、「そいつらは悪者でしょ」と決めつけてかかるのだ。これはそれらを馬鹿にするメディアや、民主主義のみを絶対として教える教育の影響なのだろうなと思う。民主主義がなぜましな制度なのかを考えるためには、他のイデオロギーについて知ることは不可欠だと思うのだが。。。


第2章では“憲法と連邦制(アメリカ政府が〈国の政府〉と〈各州の政府〉に別れている制度のこと)”について、アメリカがイギリスから独立する経緯からの歴史を詳細にわたって説明しながら解説している。いかにアメリカという国は素晴らしい「建国の父」たちによって建てられたか、現存する世界最古の憲法はいかにすばらしいか、民主主義を前提とした共和制という試みが世界で初めてだったこと、etc...。

読んでいて、なぜアメリカの愛国心が民主主義と憲法に強く結びついているかが、身にしみてわかってきた。なぜアメリカの政治学者たちがその二つを絶対に疑わないのか。それは、この二つがこのでっかい国を支える要石だからだ。それは制度的にも、精神的(愛国心)にもだ。だから政治家や学者の民主主義や憲法に対する認識も、日本のようにぐらぐらではないのだ。ここにきて初めて、僕は日本の「押しつけ憲法」の弱さを感じた。真の問題は憲法の内容ではなく、その外から制定された経緯なのではないか。

ついでにおもしろい話をすると、アメリカ合衆国憲法を作った建国の父たちは、当初民主主義を恐れていたらしい。もちろん逃れてきたイギリスの王制も恐れていたが、民主主義への警戒もあったのだ。古典では、民主主義は衆愚政治を招くとされており、建国の父たちもこの考え方を持っていた。だからこそ憲法を作るときには最大限の注意をし、大統領は国民の代表者による投票で決める制度(現在は形式のみ)や、議会の上院を州の代表による投票で決める仕組みを作ったのだ。


なんだかここまでの文章を読むと、アメリカ政治を少し褒めているような感じになっていることに気づいた。だが、良いところがあれば悪いところもある。アメリカの政治学者たちは、アメリカを世界の警察だと信じて疑わないらしいのだ。これは教科書にも書いてあったし、いくつかの論文にも見られた。「アメリカのスーパーパワーは他の追随を許さないもので、世界からテロの脅威を取り除くのはアメリカの務めだ」とはっきり書いてある。

僕は、いや、おそらく世界すらも、この姿勢こそがイラク戦争を生んだと思っているのだが、当のアメリカはそう思っていないらしい。どちらかというと、イラク戦争が起こったのはブッシュの責任や、制度の問題だとする見方が強いのだ。また、なぜテロが起こったのかも考えない。アメリカの政治学者たちは、鏡に映る自らの筋肉(軍事力)とその正義感に酔いしれ、”他者からの視点”というものを想像できていないのではないだろうか。それが、外国人である僕が授業を受けていて感じるイヤな雰囲気だ。




参照:教科書
"The Challenge of Democracy- american government in global politics 12th edition" (著) Kenneth Janda, Jeffrey M. Berry, Jerry Goldman

論文集
"Principles and Practice of American Politics"
(編)Kernell Smith


2014年3月12日水曜日

3月11日を迎えて——前に進むための“風”化を





ここアメリカは現在、2014年3月11日の昼だ。
日本ではもう3.11は終わり、翌12日の明け方を迎えている頃であろう。Facebookやツイッターを見てみると、「あの日のことを忘れない」という主旨のコメントや、被災地の当時の悲惨な画像をまとめた動画などがたくさんシェアされていた。いざ自分も何かコメントしようとするのだが、ふと手がとまる。一体何をかけばいいのだろうか。


この災害を思い出す意味とはなにか。それは未来への災害対策のためなのか。それとも死者への追悼のためか。はたまた、今も苦労する被災者たちへのエールなのか。もしかしたら、当たり前に感謝することへの自戒かもしれない。それぞれに思うことはあるのだろう。だが、どうも何を考えているのか読み取れないような、無理をしているようなコメントも多い気がする。


とりあえずリツイートしておこう。シェアしておこう。一言いっておこう。多くのコメントからそんな雰囲気を少なからず感じてしまう。そんな僕はひねくれているだろうか。


風化させてはいけないと人々はいう。しかし、「風化」が辞書通り、出来事や事件の“生々しさ”が年を得るごとに薄れていくことをいうのだとしたら、それはむしろ風化させるべきなのではないか。自然災害は戦争と違って、誰も悪くない。ただ惨いだけだ。なぜその生々しさを忘れてはいけないのか。その生々しさを、災害対策という実際的な課題と切り離し、また死者への弔いと切り離し、そして被災者へのエールとも切り離すことはできないのだろうか。あの日の惨たらしさだけを、前へ進むための風に「風化」させることはできないのだろうか。


だから僕は、風化させてはいけないとはいわない。
代わりに、あの日不幸にも亡くなったたくさんの方々のために黙想したい。
そして3年たった今も苦しみ、前を向いて進んでいっている方々を尊敬し、応援したい。
いつ起こるともわからない震災に備え、毎日の“当たり前”を大事にしたい。


あと、日本に帰ったら東北のおいしい食べ物が食べたい!
できればあまちゃんの撮影地だって巡りたい。(もう日本では古いのか?)
とりあえず、帰ったら東北に旅行だ。
※東北が地元の方、どこかおいしい店を教えてくれたら嬉しいです!

2014年3月3日月曜日

アメリカのカップラーメンはまずい?

親が送ってくれたカップラーメンもそろそろ底をついてきたので、今日はそのカップラーメンの話をしよう。


アメリカで暮らしていると、日本のカップラーメンの質の高さに気づかされる。スープはもちろんのこと、麺のクオリティーを追求し、即席のチャーシューまで入っている。おそらく世界中のどこを探しても、ここまでこだわりのある即席麺は存在しないだろう。ラーメンに対する日本人の探究心は、ハンパではないのだ。




そんな即席麺大国ニッポンに生まれてしまった僕には、アメリカの工夫もヘチマもないカップラーメンが衝撃的だった。麺はちりちりでふやふやだし、スープはうまみも何もない。それに、なぜか芯の固いグリーンピースが浮かんでいる。一体なんなんだ、これは。挙げ句の果てに「シイタケ味」という微妙な味が、一般的なフレーバーとして存在しているのだ。


日本のブランドでないならまだわかる。しかし、なぜNISSINカップヌードルまで味が違うのだろうか。これは不思議でならない。ネットで「アメリカ カップヌードル まずい」と検索してみると、238,000件もヒットした。自分以外にも多くのアメリカ在住の日本人が、「アメリカで売っている日清カップヌードルはなぜ不味いの?」という疑問を持っているらしい。そこで、このNISSINカップヌードルに絞って検証してみよう。


アメリカのカップヌードルには、日本と同様にいくつかのフレーバーがある。代表的なものが、「Beef」「Chicken」「Shrimp」の3つだ。





見ての通り、日本とは違って箱に入っているのが特徴だ。これに対して日本の代表的な味は、オリジナル、シーフード、カレーと言ったところだろうか。これらのフレーバーを比較すると、ひとつ大きな違いがあることに気づく。アメリカのフレーバーが一つの素材(牛、鶏、エビ)なのに対して、日本のは複数の素材が混ざった味なのだ。例えばオリジナルなら、鶏肉、豚肉、エビ。シーフードは鶏肉、豚肉、かに。カレーは鶏肉と豚肉だ。


日本のカップヌードル
この画像を見てもわかるが、エビと豚肉、鶏肉が使用されている。


一方、アメリカのカップヌードルは、単一の肉類が使用されている場合が多い。Beef味なら牛以外は使用されていないし、Chicken味は鶏肉しか使われていない。ただ、shrimp味だけは例外で、チキンパウダーとポークパウダーが使われているようだ。


僕は最初、宗教的な事情(豚肉を食べない人々)などを配慮した、多様性のあるアメリカならではの理由かと思っていた。しかし、このshrimp味の例外を見る限りそれは違いそうだ。では一体なぜ日本と同じような製法で作らないのか?


正確な答えはわからないが、意外とこれはシンプルな理由かもしれない。
ある日、同じ寮のアメリカ人の友達に日本のカップヌードル(シーフード味)を食べさせてみた。すると、少し味わったあと「複雑な味だね」と言って彼は箸を置いた。彼にはアメリカのカップヌードルの方が舌に合うようなのだ。日本のカップヌードルこそが世界で一番おいしいと思っていた僕にはショックだった。


つまり、どのカップヌードルがおいしいかは、その国の人の味覚次第ということなのだろう。確かに、アメリカの寿司は日本のとまったく違うし、アメリカのタコスもメキシコのと全然違った。どこの国の人にも、自分の口に合う味があるのだ。日本のイタリアンやフレンチ、中華料理が本場の味と違うみたいに。


個人的に、これはとてもおもしろいことだと思う。世界がグローバル化し、多様性が失われていると懸念される中で、実はグローバル商品の中にもローカル性が存在しているということなのだから。だから僕は口に合わないアメリカのカップラーメンを食べ、そのまずさを喜び、笑顔で「Interesting!」と言うのだ。

2014年2月25日火曜日

「アメリカ人は政治的関心が高い」は本当か



「アメリカ国民はみんな政治に関心がある。それに比べて日本人はだめだ」

 僕はアメリカに留学する前まで、多くの日本人と同様に、こう嘆く一人であった。それは現にアメリカに駐在経験のあるジャーナリストから聞かされていた話でもあったため、僕はすっかり信じきっていた。彼に聞いたアメリカ人政治私観はこうだ。

 アメリカ人は政治に関する意見をちゃんと持っている人が多い。カメラを向けてインタビューすれば、日本人より遥かに多く意見が返ってくる。彼らはたとえ意見が違ったとしても友人と政治について議論するし、その議論が終われば頭を切り替えて一緒に楽しく飲みにいく。

 こう語られるアメリカ人はまさに政治的に成熟した市民であり、憧れの対象でもあった。しかし、アメリカに来て半年が経つが、そのようなアメリカ人にはなかなか巡り会えていない。それどころか、政治的関心の薄い人たちばかりであることに驚いている。先のジャーナリストが見たアメリカに対し、今僕が見ている現実は正反対のものなのだ。


 寮の友人たち6人で話していたときのことだった。政治学の授業の話がきっかけで、話題はアメリカ政治に移った。これはチャンスだと思い、例のジャーナリストに聞いたアメリカ人観を話してみたら、「いや...実際は違うよ」と言われた。彼らによれば、アメリカでも政治の話題はセンシティブであり、意見が対立する友人同士ならなるべく避けるという。議論するのは一部の熱い人たちで、しかもプライベートなら同じ意見の人同士で話す場合が多いと言っていた。そしてこれは学生に限った話ではないと。

 これでは聞いていた話とだいぶ違う。では、政治への関心をデータで見てみよう。2012年のアメリカ大統領選の投票率は57.5%で、実はこれは戦後最低と言われた昨年末の日本の衆議院議員選挙の59.32%よりも低い。アメリカ中、いや、世界中がオバマオバマと騒いでいたのに、投票率はこんなにも低いのだ。さらに驚くべきことには、この数字は1968年以来、44年間の中で最も高い数字なのだ。

 例のジャーナリストがアメリカに滞在していたのは1996年から2000年までだ。ということは、彼がいたときのアメリカの方が、現在よりも投票率が低いということになる。それなのに政治的関心は当時の方が高い?もうあべこべだ。

 あべこべついでにもう一つおもしろいデータを紹介しよう。平成21年に行われた内閣府の調査によると、日本の若者の方がアメリカの若者より政治に関心があると答えた割合が多いのだ。関心があると答えた若者は日本で57.9%、アメリカでは54.5%だった。


 このギャップは何なのだろうか。ひとつには、アメリカ人の国民性であろう。日本人に比べ、アメリカ人は自分の意見を主張する傾向がある。これは、実際に暮らしていてよく感じることだ。そのため、たとえそのテーマに特に関心がないとしても、意見を求められたときに何かを言える人が多いのだ。だから街頭インタビューで日本人は「特にないっす」とへらへらしているのに対し、アメリカ人ははっきりと何か言うのだろう。

 もう一つは、ジャーナリストと学生という立場の違いがあるだろう。ジャーナリストは“何かがある”ところに話を聞きにいくのが仕事だ。だからアメリカの一部の熱い人たちが、彼らにとってのアメリカ人になる。一方、何もない田舎の大学に通う学生にとっては、“何もない”凡庸なアメリカに住む人たちこそが、アメリカ人の姿なのだ。


 このように、同じ対象でも相手や聞く人の立場によって印象は180度変わってしまう。そのため、我々は誰がしゃべっているかだけでないく、誰が聞いているかにも注目しなければならない。どんな人であろうと、話を聞く《自分》からは逃れることができないのだ。かくいう僕も、たった二人の青年に会っただけで、「シンガポール青年は素晴らしい!」と断言してしまっているのだから。


2014年2月18日火曜日

嗚呼、シンガポール青年の素晴らしさ!

 先週末、大学の主催するヨセミテ国立公園キャンプに行ってきた。
 参加者は12人だったが、そのうちの8人が留学生だった。僕の大学は留学生の数が少なく、普段キャンパスで過ごしていても会う機会などないので、留学生ならではの悩みやアメリカ観などを交わし、とても盛り上がった。
 その中の一人に、先学期親しかったシンガポール人の留学生と同じ大学から来た青年がいて、彼とよく話をした。アメリカに来てからの数少ない国際交流から僕が学んだことは、シンガポールの青年は実に好青年であるということだ。

 自然の中でキャンプをすると、一緒にいるやつの人となりは結構わかってくるものだ。今回出会った青年のように、先学期仲良かったシンガポール人青年ともよく一緒にキャンプをしたのだが、彼らはどちらも自立しており、とてもよく気が利いた。誰かが何かをやらなければならないときは率先して手を挙げ、テキパキとこなしてしまう。
 僕はその姿に感激し、気になって理由を聞いてみた。すると、どちらの青年も同じ答えだった。それは、兵役である。シンガポールの男性は、大学に入る前に2年間の兵役が義務づけられている。それによってシンガポールの男性は規律を訓練され、自らの手で生きていく力を身につけるというのだ。

 二人とも兵役は本当にいい経験だったと言っていた。これは徴兵制のない日本で育った僕には衝撃的だった。だが、話を聞いてるうちに徴兵制のメリットが少しずつわかってきた。
 それは自立、規律、仲間の3つだ。ひ弱で何もできない僕たち日本男児とは違い、シンガポール男児はそれこそジャングルでもテントを張って生きていける。また、寮での厳しい共同生活も経験しているため、誰もが部屋を綺麗にする習慣を身につけるというのだ。また、マナーもしっかりしている。これは規律訓練の賜物だろう。
 そして何よりも、兵役の2年間は苦楽を共にした一生の仲間ができるという。僕の友人は、その友達なら何があっても心から信頼できると言っていた。それは、訓練で文字通り“命”を預けあったからだそうだ。それを聞いて、正直少し羨ましく思った。

 だが、徴兵制の目的をもちろん忘れてはいけない。彼らはいざというときに戦争に行かなければならないのだ。アメリカの大学で生物学の教授になるのが夢だという先の青年は、もし戦争があったら必ず国に戻って戦うと言っていた。それは、家族や友人のいる母国を守りたいからだ。
 僕はその戦争に疑いがあっても参加するのかと聞いた。すると、彼は少し考えてからこう言った。民主主義国家であるシンガポールは、国民の半分が徴兵される男たちである。当然みんな命は捨てたくないから、合理的に考えて必要のある戦争しか選択しないはずだ、と。
 何かの邪魔で会話はここで途切れてしまったが、これは少し危険だと思った。集団は必ずしも合理的な選択をするとは限らないのに、それを信じて疑わないからだ。事実、ドイツは民主主義だったがヒトラーを選んだのだ。彼はとても思いやりのある好青年で、とても良い友人だ。だから、彼が戦争に行くのを想像して、胸が痛んだ。

 日本に徴兵制があった方がいいかと聞かれたら、答えはNOだ。どんなに立派な青年を育てたところで、その先に戦争があるのは間違っているからだ。
 しかし、徴兵制の代わりに何か規律訓練をする機会があってもいいはずだ。それは男女共にだ。例えば義務教育の一環で厳しい寮生活を課すとか、そんなものがあったらいいと思う。日本の青年とシンガポールの青年の歴然とした差を埋めるには、それしかないのではないか。
 僕がもし女性だったら、日本人男性よりシンガポール男性を結婚相手に選ぶだろう。

2014年2月11日火曜日

坂口安吾「特攻隊に捧ぐ」を読んで

坂口安吾の「特攻隊に捧ぐ」を読んだ。
短いエッセイだが、彼の感性の鋭さが痛いほどよくわかる内容だった。

まず、このエッセイの主張を簡潔に述べている箇所があるので抜粋する。

私は戦争を最も呪う。だが、特攻隊を永遠に讃美する。その人間の懊悩苦悶とかくて国のため人のためにささげられたいのちに対して。
(抜粋:: 坂口安吾. “特攻隊に捧ぐ”。 iBooks. https://itun.es/jp/fa5hI.l)

彼は特攻隊を生み出した戦争というものこそ最も残虐で憎むべきものであり、もう二度と同じ過ちを犯してはならないと誓いながらも、その結果として現れた若者たちの「殉国の情熱」はとても美しく尊いものだと言っているのだ。自らの頭に思い浮かぶ家族や恋人を死と並べて格闘し、国のために命をささげたその苦悩と完結。その無償の行為こそが最も美しいのだと。

この特攻隊の姿に対するあまりの称賛を読んでいると、一見その美を生み出した戦争を讃美しているようにも取れてしまう。しかし、安吾にはその懸念がしっかりわかっていて、その上でこの主張をしているのだ。

私は然しいささか美に惑溺しているのである。そして根柢的な過失を犯している。私はそれに気付いているのだ。戦争が奇蹟を行ったという表現は憎むべき偽懣の言葉で、奇蹟の正体は、国のためにいのちを捨てることを「強要した」というところにある。奇蹟でもなんでもない。無理強いに強要されたのだ。これは戦争の性格だ。その性格に自由はない。かりに作戦の許す最大限の自由を許したにしても、戦争に真実の自由はなく、所詮兵隊は人間ではなく人形なのだ。

とある。しかし、このあとに文章はこう続く。

けれども私は「強要せられた」ことを一応忘れる考え方も必要だと思っている。(中略)その次に始まったのは彼個人の凄絶な死との格闘、人間の苦悩で、強要によって起りはしたが、燃焼はそれ自体であり、強要と切り離して、それ自体として見ることも可能だという考えである。否、私はむしろ切り離して、それ自体として見ることが正当で、格闘のあげくの殉国の情熱を最大の讃美を以て敬愛したい

この“切り離す”態度が僕には素晴らしく感じられるのだ。
戦争のことを考えるとき、我々はつい“善”か“悪”かにまとめて括ってしまいがちになる。しかし、安吾は戦争をきっぱり否定しながらも、そこから切り離して特攻隊の「殉国の情熱」を礼讃しているのだ。その「殉国の情熱」とはただ単純なことで、他を想い、そのために自分を捧げることに他ならない。それは戦争とは一切関係ないことだ。物事を分析するときに、その中から善悪をそれぞれ抽出し、切り離すことの大切さ、難しさ。しかし、それが大事なのではないか。その姿勢を、安吾自身はこう綴る。

我々はこの戦争の中から積悪の泥沼をあばき天日にさらし干し乾して正体を見破り自省と又明日の建設の足場とすることが必要であるが、同時に、戦争の中から真実の花をさがして、ひそかに我が部屋をかざり、明日の日により美しい花をもとめ花咲かせる努力と希望を失ってはならないだろう。

ただ、こういう反論があるかもしれない。安吾は特攻隊員たちを「強制される側」として見ているが、その特攻隊員たちによって殺された家族のあるアメリカ兵たちはどうなのか。彼らは特攻隊によって死を「強制された」人たちではないのか、と。この点に関しては、彼の感性はジャーナリストではなく、芸術家であったと言わせてもらう。彼は特攻隊から指令という強制を引き剥がしただけでなく、殺人という結果すらも剥がしてしまったのだ。あくまでも純粋に、その死との格闘というプロセスだけを抽出して。その抽出された美こそが、このエッセイ最大の魅力と言えよう。

2014年2月9日日曜日

波平の声ー移ろいゆく日常

今アメリカでは時計の針が深夜2時を指している。日付が変わって日曜日になった。日本ではちょうど今頃、サザエさんが終わった頃だ。先日亡くなった磯野波平の声優・永井一郎さんが、生前収録していた最後のエピソードだった。永井さんは1969年にサザエさんの放送が始まって以来、ずっと波平の声優を演じてきた。それは毎週末僕たちを笑わせ、ときに泣かせてきた、日本を代表するお父さんの声だった。その声も今日で最後となる。

お母さんが夕飯を料理をしている間、何気なくテレビをつけ、サザエさんを特に見るともなく流す。それを見たお父さんは、明日からまた仕事か、と少し憂鬱になったり......。放送開始から45年間という長い長い年月。それは、現在日本に生きるほとんどの人の、人生の半分以上を占める時間だ。その途方も無い時間をかけて、サザエさんはゆっくりゆっくり、国民の日常生活の一部になった。そしてそんな日本の日曜日は、今日まで永久に続いていくものだと思われた。しかし、そうではなかったのだ。

慣れ親しんだ波平の声。それは、次の新しい声にバトンタッチされる。初めのうちは違和感を覚えるかもしれない。しかし、またゆっくりと時間が経っていき、人々はその声に慣れていく。その間にまた新しい命が生まれ、昔の波平の声を知らない子どもたちへと、社会もバトンタッチされていく。当たり前だが、日常はゆっくりゆっくり生まれ変わっていくのだと再認識する。波平の声がもう聞けなくなるのだという感慨は、移ろいゆく日常に押し流されていく者たちが、それに一瞬でも気づいてしまった哀れさなんだと思う。僕は日本の日常から遠く離れたアメリカで、そんなことを考えていた。

2014年1月25日土曜日

日中・日韓関係の改善は坂本龍馬に見習うべし

この前、イギリスに留学している友達がFacebookでこんな投稿をしていた。

”ついに出た

 日本はいつまで戦争謝罪をしないの?

 という質問が。"

香港からきた留学生の友達に、さらっと言われたらしい。
彼のように海外で学んでいると、このようなドキリとする質問に出くわすことがある。
たとえさらっとした言い方だとしても、それを言われた側は感情を害する。これは例えるなら、夫婦喧嘩の始まりに似ている。何気ない会話の中でさらっと昔のことを掘り返され、批判をされたときのような気持ちだ。

「もうそれは済んだことだし、あのとき謝ったじゃないか!」
「いや、あなたは謝ってないしまだあのときのことは忘れられない!」

これは長年一緒にいた夫婦なら、誰しもが経験したことがあるだろう。そしてその経験からもわかるだろうが、このような喧嘩は堂々巡りで不毛だ。過去ほど不確かなことはないし、それに結論を出したところで何も生まれない。むしろ、確かな答えの出ない問題を無理矢理解決の形に持っていったところで、その先も消えることのないしこりが残るだけだろう。だからこそ、賢い者ならば“今”に目を向けるべきだ。お互いに解決しようがない問題を抱えていることを前提とし、それをもう未来に繰り返さないようにすること。その分、この先は互いの利益になるような未来を作っていく努力をしなければならない。真に未来に目を向けている者は、その前進のためならプライドだって譲るだろう。その方が良い未来があるとわかっているからだ。

だが、このように口先だけならいくらでも言える。実際の当事者からすれば、頭で理屈はわかっていても、その感情が収まらないだろう。こうした感情の深く絡まった問題は、議論だけでは解決できないことが多い。ではどうすればいいか。そこで、私は今こそ坂本龍馬の知恵を借りるべきだと思う。

坂本龍馬は犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩を握手させ、遂に江戸幕府を転覆させるに至った。だが当時の薩長の仲の悪さは、現在の日中や日韓の比ではなかった。深い対立の歴史があり、お互いのことを殺したい程に憎んでいた。むろん、そこには議論の余地などなかった。そこで、龍馬はまず経済に目を向けた。互いに利益になる経済なら断る理由はない。「金が儲かることなら、薩摩も長州も手を握るだろう」というわけだ。そうして全く歴史的な議論とは関係のないところで手を結ばせ、少しずつ対立感情を和らげていったのだ。確かに、当時は幕府という共通する大きな敵がいた。そしてさらにその外には外国の圧力もあった。そういった状況だったからこそ、手を結ばざるを得なかったのも事実だ。しかし、現代は江戸時代末期と状況が大きく違えど、この基本的なアイディアは使えるのではないか。幸運にも、現代には幕府のような腐敗した独裁体制や外国の植民地化の勢威のような危機はないが、代わりに違う問題が転がっている。例えば原発や温暖化をはじめとした環境問題は、人間の安全を脅かす脅威である。これらを解決していくために、東アジアで手を結ぶことだってできるだろう(姜尚中氏も東アジア共同体構想でこれを語っている)。

歴史や史実に関する堂々巡りの議論では、絡まった感情の糸をほどくことはできない。だからこそ、違う方向で手を結ぶのが重要だ。そのようにして徐々に解れていった感情は、いずれ必ず時間が解決してくれる段階がくるはずだ。それまでは過去を掘り返すのではなく、前を向いて互いの利益を目指していく姿勢を持ちたい。

希望はある。冒頭で紹介した友達の投稿には、40件以上もの若者のコメントがあった。そこには賛否両論あったが、共通しているのは“関心”があるからコメントをする、ということだ。時間に解決してもらうというのは、無関心でい続けることではない。お互いに関心を持ちつつ、前を向いていくことなのだ。