2014年2月18日火曜日

嗚呼、シンガポール青年の素晴らしさ!

 先週末、大学の主催するヨセミテ国立公園キャンプに行ってきた。
 参加者は12人だったが、そのうちの8人が留学生だった。僕の大学は留学生の数が少なく、普段キャンパスで過ごしていても会う機会などないので、留学生ならではの悩みやアメリカ観などを交わし、とても盛り上がった。
 その中の一人に、先学期親しかったシンガポール人の留学生と同じ大学から来た青年がいて、彼とよく話をした。アメリカに来てからの数少ない国際交流から僕が学んだことは、シンガポールの青年は実に好青年であるということだ。

 自然の中でキャンプをすると、一緒にいるやつの人となりは結構わかってくるものだ。今回出会った青年のように、先学期仲良かったシンガポール人青年ともよく一緒にキャンプをしたのだが、彼らはどちらも自立しており、とてもよく気が利いた。誰かが何かをやらなければならないときは率先して手を挙げ、テキパキとこなしてしまう。
 僕はその姿に感激し、気になって理由を聞いてみた。すると、どちらの青年も同じ答えだった。それは、兵役である。シンガポールの男性は、大学に入る前に2年間の兵役が義務づけられている。それによってシンガポールの男性は規律を訓練され、自らの手で生きていく力を身につけるというのだ。

 二人とも兵役は本当にいい経験だったと言っていた。これは徴兵制のない日本で育った僕には衝撃的だった。だが、話を聞いてるうちに徴兵制のメリットが少しずつわかってきた。
 それは自立、規律、仲間の3つだ。ひ弱で何もできない僕たち日本男児とは違い、シンガポール男児はそれこそジャングルでもテントを張って生きていける。また、寮での厳しい共同生活も経験しているため、誰もが部屋を綺麗にする習慣を身につけるというのだ。また、マナーもしっかりしている。これは規律訓練の賜物だろう。
 そして何よりも、兵役の2年間は苦楽を共にした一生の仲間ができるという。僕の友人は、その友達なら何があっても心から信頼できると言っていた。それは、訓練で文字通り“命”を預けあったからだそうだ。それを聞いて、正直少し羨ましく思った。

 だが、徴兵制の目的をもちろん忘れてはいけない。彼らはいざというときに戦争に行かなければならないのだ。アメリカの大学で生物学の教授になるのが夢だという先の青年は、もし戦争があったら必ず国に戻って戦うと言っていた。それは、家族や友人のいる母国を守りたいからだ。
 僕はその戦争に疑いがあっても参加するのかと聞いた。すると、彼は少し考えてからこう言った。民主主義国家であるシンガポールは、国民の半分が徴兵される男たちである。当然みんな命は捨てたくないから、合理的に考えて必要のある戦争しか選択しないはずだ、と。
 何かの邪魔で会話はここで途切れてしまったが、これは少し危険だと思った。集団は必ずしも合理的な選択をするとは限らないのに、それを信じて疑わないからだ。事実、ドイツは民主主義だったがヒトラーを選んだのだ。彼はとても思いやりのある好青年で、とても良い友人だ。だから、彼が戦争に行くのを想像して、胸が痛んだ。

 日本に徴兵制があった方がいいかと聞かれたら、答えはNOだ。どんなに立派な青年を育てたところで、その先に戦争があるのは間違っているからだ。
 しかし、徴兵制の代わりに何か規律訓練をする機会があってもいいはずだ。それは男女共にだ。例えば義務教育の一環で厳しい寮生活を課すとか、そんなものがあったらいいと思う。日本の青年とシンガポールの青年の歴然とした差を埋めるには、それしかないのではないか。
 僕がもし女性だったら、日本人男性よりシンガポール男性を結婚相手に選ぶだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿