2013年12月8日日曜日

追悼:ネルソン・マンデラのこぶしを見よ!


「またひとり、この世から偉大な人物がいなくなった。」

こういうオシャレなレトリックを使ったつぶやきは大変結構なのだが、その中で一体どれだけの人が、ネルソン・マンデラが偉大だった理由をちゃんと知っているだろうか?

正直、僕は訃報のあと彼の人生を調べるまでほとんど知らなかった。知っていたのは、彼がアパルトヘイトの廃止に貢献してノーベル平和賞をもらい、南アフリカ初の黒人大統領になったという基本的な情報ぐらい。おまけにニュースで彼の顔を見たとき、「全然モーガン・フリーマンに似てねぇ...」と思ってしまったレベルだ。

彼の人生について詳しく説明すると長くなるので、そこはwikipediaでも
使って各々でぜひ調べて頂きたいのだが、ここでは僕にとって印象的だったことだけを書こう。


僕もそうだったが、ネルソン・マンデラというと平和主義者というイメージがある。まあノーベル平和賞を取っているから当然と言えばそうだろう。そのため、多くの人は彼が投獄前、ウムコント・ウェ・シズウェ(民族の槍)という軍事組織を作り、その司令官になったことを知らないだろう(もっとも、実際にこれで軍事行動を起こしたわけではないが)

若かりし頃、マンデラは平和主義的な方法で南アのアパルトヘイトに対抗していた。しかし彼は17年にも及ぶ抗議を続けるうちに、状況を変えるのに平和主義的な方法では限界があると感じた。そこで実力行使に方向転換し、民族の槍を作り、黒人労働者たちによるストライキやサボテージュを指揮したのだ。そのため、彼は政府への反逆罪で27年間投獄されることになる。彼の自叙伝によれば、この投獄期間は頭を冷やし、実力行使という手段を見直すいい機会であったと述べている。しかし重要なことに、出所後に彼は黒人の参政権が与えられるまで軍事組織は解体しないと宣言している。その後、彼はアパルトヘイトを廃止し、民族協調へ向けて様々な難問に取り組んでいく。

驚くことに、ここ数日のネルソン・マンデラの訃報を伝えるニュース記事に、これらの情報はほとんど見当たらない。しかし、負の歴史に対して血の滲むような努力で闘い続け、民族に融和をもたらした不屈の精神は、このリアリスト的な一面なしでは語れないだろう。

もしマンデラが投獄されず、頭を冷やすことなく突き進んでいったらどうなっていたか。歴史にもしもはないが、つい想像してしまう。そうであれば、歴史は彼に今と真逆の待遇を用意していたかもしれない。しかし、結果は違った。彼は何度も壁にぶつかることで極限までに現実的に考え、そして投獄中27年間も冷静に潜考した。朝日新聞の天声人語(2013.12.7)は、彼のことをこう讃える。「
掲(かか)げるこぶしのあれほど
高かった人を、ほかに知らない。」その“理想”に向けて掲げたこぶしは、誰よりも現実的で洗練されたものだったに違いない。


先日「特定秘密保護法」が成立したが、与党も世論も、少しマンデラを見習ってはどうか。何でもすぐに「反対!」と叫ぶメディアや世論は、もっと問題を多面的に見て、現実的で有効な批判をするべきだ。一方、与党はこの重要な法案についてもっと時間をかけて潜考し、洗練させなければならない。
個人的には今回の法案には内容の不十分さ、強行採決という手段ともに反対だが、秘密保護自体は外交上必要だと思う。しかし、この議論不足の特定秘密保護法案には不安を抱かずにはいられない。安倍政権の掲げるこぶしは、人を殴るためのこぶしにはならないだろうか。責任は、彼を選んだ我々にもある。法案は通ったが、これからが肝心だ。

2013年11月28日木曜日

苔むしたタイムマシン

ついさっき、このブログを発見したときは、おもわず感慨に耽ってしまいました。ICUの英語カリキュラム“ELP”で使ったこのブログは、あれから2年もの間、誰にも見られることなく膨大なインターネットに埋もれて眠り続けていたのです。


あれから2年。今僕がアメリカに留学していることを、あの当時誰が予想したでしょう?僕自身、アメリカには絶対に留学しないと思っていました。実際、留学に応募したときもアメリカは希望しませんでした。それなのに今僕はここにいる。人生はどう転ぶかまったくわかりません。こちらが望もうが望むまいが、おかまいなしに転がっていくみたいです。


懐かしさにページをスクロールしていると、当時書いたCA Blogging Assignment 6という小文を見つけました。僕はその書き出しに“unintended consequence”(“予期せぬ結果”)という言葉を残していましたが、これだけがこの未来を予期していました。確実なのは、未来は不確実だということ。それだけなのです。あの記事にコメントを残してくれた僕の仲間たちは、今ごろ何をしているのでしょうか…。


なんだか、長年放って置かれて苔むしたタイムマシンに乗って、たったひとりで2年前からやってきた気分です。インターネットは本当に不思議で、この世界にはこのブログみたいに、苔むしたタイムマシンがたくさんあるのでしょう。その中のほとんどは、一生誰にも発見されることなく、眠り続けるのです。


この世界の性格からしたら、一度埋もれたタイムマシンは大抵の場合、二度と発見されることはないでしょう。なぜなら、検索機能は優先順位をつけるからです。誰にも見られないものは、より深くへと埋まっていく。とても残酷です。もしこれが書物なら、もっと希望はあったでしょう。図書館に埋もれた誰にも読まれない本でさえ、なにかの偶然で、ばったりと人の眼にとまることがあるからです。僕はそういうとき、本のタイトルと著者の名前を頭の中で読んであげます。なぜなら、本はその著者の人生の一部だからです。僕は父が本を書いたので、このことをよく知っています。


このブログは幸運でした。一生誰にも見返されることのないはずだった2年前の僕の人生が、また光を見たからです。タイムマシンはまた動き出したのです。夜空にあるのは、奇しくも2年前に止まったときと同じ、秋の星座—このブログの壁紙イメージです。今度はゆっくりと進んで行くことでしょう。

              ———あれから2年後の、Autumn nightに。