2014年1月25日土曜日

日中・日韓関係の改善は坂本龍馬に見習うべし

この前、イギリスに留学している友達がFacebookでこんな投稿をしていた。

”ついに出た

 日本はいつまで戦争謝罪をしないの?

 という質問が。"

香港からきた留学生の友達に、さらっと言われたらしい。
彼のように海外で学んでいると、このようなドキリとする質問に出くわすことがある。
たとえさらっとした言い方だとしても、それを言われた側は感情を害する。これは例えるなら、夫婦喧嘩の始まりに似ている。何気ない会話の中でさらっと昔のことを掘り返され、批判をされたときのような気持ちだ。

「もうそれは済んだことだし、あのとき謝ったじゃないか!」
「いや、あなたは謝ってないしまだあのときのことは忘れられない!」

これは長年一緒にいた夫婦なら、誰しもが経験したことがあるだろう。そしてその経験からもわかるだろうが、このような喧嘩は堂々巡りで不毛だ。過去ほど不確かなことはないし、それに結論を出したところで何も生まれない。むしろ、確かな答えの出ない問題を無理矢理解決の形に持っていったところで、その先も消えることのないしこりが残るだけだろう。だからこそ、賢い者ならば“今”に目を向けるべきだ。お互いに解決しようがない問題を抱えていることを前提とし、それをもう未来に繰り返さないようにすること。その分、この先は互いの利益になるような未来を作っていく努力をしなければならない。真に未来に目を向けている者は、その前進のためならプライドだって譲るだろう。その方が良い未来があるとわかっているからだ。

だが、このように口先だけならいくらでも言える。実際の当事者からすれば、頭で理屈はわかっていても、その感情が収まらないだろう。こうした感情の深く絡まった問題は、議論だけでは解決できないことが多い。ではどうすればいいか。そこで、私は今こそ坂本龍馬の知恵を借りるべきだと思う。

坂本龍馬は犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩を握手させ、遂に江戸幕府を転覆させるに至った。だが当時の薩長の仲の悪さは、現在の日中や日韓の比ではなかった。深い対立の歴史があり、お互いのことを殺したい程に憎んでいた。むろん、そこには議論の余地などなかった。そこで、龍馬はまず経済に目を向けた。互いに利益になる経済なら断る理由はない。「金が儲かることなら、薩摩も長州も手を握るだろう」というわけだ。そうして全く歴史的な議論とは関係のないところで手を結ばせ、少しずつ対立感情を和らげていったのだ。確かに、当時は幕府という共通する大きな敵がいた。そしてさらにその外には外国の圧力もあった。そういった状況だったからこそ、手を結ばざるを得なかったのも事実だ。しかし、現代は江戸時代末期と状況が大きく違えど、この基本的なアイディアは使えるのではないか。幸運にも、現代には幕府のような腐敗した独裁体制や外国の植民地化の勢威のような危機はないが、代わりに違う問題が転がっている。例えば原発や温暖化をはじめとした環境問題は、人間の安全を脅かす脅威である。これらを解決していくために、東アジアで手を結ぶことだってできるだろう(姜尚中氏も東アジア共同体構想でこれを語っている)。

歴史や史実に関する堂々巡りの議論では、絡まった感情の糸をほどくことはできない。だからこそ、違う方向で手を結ぶのが重要だ。そのようにして徐々に解れていった感情は、いずれ必ず時間が解決してくれる段階がくるはずだ。それまでは過去を掘り返すのではなく、前を向いて互いの利益を目指していく姿勢を持ちたい。

希望はある。冒頭で紹介した友達の投稿には、40件以上もの若者のコメントがあった。そこには賛否両論あったが、共通しているのは“関心”があるからコメントをする、ということだ。時間に解決してもらうというのは、無関心でい続けることではない。お互いに関心を持ちつつ、前を向いていくことなのだ。