僕はアメリカに留学する前まで、多くの日本人と同様に、こう嘆く一人であった。それは現にアメリカに駐在経験のあるジャーナリストから聞かされていた話でもあったため、僕はすっかり信じきっていた。彼に聞いたアメリカ人政治私観はこうだ。
アメリカ人は政治に関する意見をちゃんと持っている人が多い。カメラを向けてインタビューすれば、日本人より遥かに多く意見が返ってくる。彼らはたとえ意見が違ったとしても友人と政治について議論するし、その議論が終われば頭を切り替えて一緒に楽しく飲みにいく。
こう語られるアメリカ人はまさに政治的に成熟した市民であり、憧れの対象でもあった。しかし、アメリカに来て半年が経つが、そのようなアメリカ人にはなかなか巡り会えていない。それどころか、政治的関心の薄い人たちばかりであることに驚いている。先のジャーナリストが見たアメリカに対し、今僕が見ている現実は正反対のものなのだ。
寮の友人たち6人で話していたときのことだった。政治学の授業の話がきっかけで、話題はアメリカ政治に移った。これはチャンスだと思い、例のジャーナリストに聞いたアメリカ人観を話してみたら、「いや...実際は違うよ」と言われた。彼らによれば、アメリカでも政治の話題はセンシティブであり、意見が対立する友人同士ならなるべく避けるという。議論するのは一部の熱い人たちで、しかもプライベートなら同じ意見の人同士で話す場合が多いと言っていた。そしてこれは学生に限った話ではないと。
これでは聞いていた話とだいぶ違う。では、政治への関心をデータで見てみよう。2012年のアメリカ大統領選の投票率は57.5%で、実はこれは戦後最低と言われた昨年末の日本の衆議院議員選挙の59.32%よりも低い。アメリカ中、いや、世界中がオバマオバマと騒いでいたのに、投票率はこんなにも低いのだ。さらに驚くべきことには、この数字は1968年以来、44年間の中で最も高い数字なのだ。
例のジャーナリストがアメリカに滞在していたのは1996年から2000年までだ。ということは、彼がいたときのアメリカの方が、現在よりも投票率が低いということになる。それなのに政治的関心は当時の方が高い?もうあべこべだ。
あべこべついでにもう一つおもしろいデータを紹介しよう。平成21年に行われた内閣府の調査によると、日本の若者の方がアメリカの若者より政治に関心があると答えた割合が多いのだ。関心があると答えた若者は日本で57.9%、アメリカでは54.5%だった。
このギャップは何なのだろうか。ひとつには、アメリカ人の国民性であろう。日本人に比べ、アメリカ人は自分の意見を主張する傾向がある。これは、実際に暮らしていてよく感じることだ。そのため、たとえそのテーマに特に関心がないとしても、意見を求められたときに何かを言える人が多いのだ。だから街頭インタビューで日本人は「特にないっす」とへらへらしているのに対し、アメリカ人ははっきりと何か言うのだろう。
もう一つは、ジャーナリストと学生という立場の違いがあるだろう。ジャーナリストは“何かがある”ところに話を聞きにいくのが仕事だ。だからアメリカの一部の熱い人たちが、彼らにとってのアメリカ人になる。一方、何もない田舎の大学に通う学生にとっては、“何もない”凡庸なアメリカに住む人たちこそが、アメリカ人の姿なのだ。
このように、同じ対象でも相手や聞く人の立場によって印象は180度変わってしまう。そのため、我々は誰がしゃべっているかだけでないく、誰が聞いているかにも注目しなければならない。どんな人であろうと、話を聞く《自分》からは逃れることができないのだ。かくいう僕も、たった二人の青年に会っただけで、「シンガポール青年は素晴らしい!」と断言してしまっているのだから。
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