2014年3月14日金曜日

アメリカ政治学者とスーパーヒーロー




現在、カリフォルニア大学で「アメリカ政治入門」という授業を取っているのだが、外国の政治をその国で学ぶという経験はとてもおもしろいものだ。アメリカ人が自国についてどのように考えているのかを生で感じられるのは、留学生に与えられたすばらしい特権であろう。ついこの前の授業でもそれを感じた。


その日の授業では、アメリカの二党制について学んでいた。大教室の真ん中に座り、他の生徒たちと一緒に、前のスクリーンに表示されるスライドを必死に書き写す。この様な“黒板を写すだけ”の受け身な授業は、日本だけでなく、アメリカでも普通に存在している。そんな退屈な講義に耐えていると、教授のある解説が耳に入ってきた。

「現在のリベラル/コンサバティブが両極端に別れている状態では、物事がなかなか決まらず、国の外交を進める際に支障をきたします。これでは、他の追随を許さない圧倒的なスーパーパワーを持つアメリカが、世界からテロを撲滅する使命もうまく果たせません

僕のスライドを写す手がふと止まる。
・・・いま何かすごいことが聞こえたような気がする。

「これでは、他の追随を許さない圧倒的なスーパーパワーを持つアメリカが、世界からテロを撲滅する使命もうまく果たせません」

うん、間違いない。教科書の同じ箇所にも、同じようなことが書いてある。しかも、この言葉に違和感を受けているのは、150人の大教室で僕ひとりのようだ。

おそらくトレーニングを欠かさずやっているのだろう。このえらく胸筋の発達した白人の男性教諭の台詞には、とてつもない正義感と絶対的な自信が溢れている。政治家だけでなく、アメリカの政治学者たちも、この“スーパーヒーロー気質”を持っているのかと思うと、少しげんなりする。


僕の経験上、アメリカ人はほぼ全員、例外なくスーパーヒーローが好きだ。その数もスーパーマンやバットマン、キャプテン・アメリカやアイアンマンなど、挙げていけば枚挙にいとまがない。2012年に公開されたヒーロー物の映画『アベンジャーズ』の興行収入は、アバターとタイタニックに次いで歴代3位だ。日本でウルトラマンや仮面ライダーがこれだけの成績をあげることは考えられない。

大学内を歩いていて、スーパーヒーローがデザインされているT-シャツを来ている学生に会う日は、3日に1度はある。

このアメリカ人のスーパーヒーロー好きも、彼らのスーパーヒーロー気質と深く関係しているように思える。

「世界の悪者は、僕たちがスーパーパワーでやっつけるんだ!」

その心意気はとても心強いのだが、現実の世界は映画のように一枚岩ではない。

この前ルームメイトとサマータイム(夏時間)について話していた。
「日本にはないから、なかなか適応するのが大変だよ」と僕が言うと、彼は非常に驚いた顔で「え、世界共通なのかと思ってた!」と言った。アメリカは多様に見えて、実は大きな大きな島国なのだ。むしろ多様な人種の中で暮らしていると、自分たちの価値観が世界基準だと思い込んでしまうのかもしれない。現に、そのルームメイトはチャイニーズアメリカンだ。

アメリカの政治学の教授たちは、自国の政治についてはとても批判的に考える。しかし、自国の正義感に関しては、考える余地もない“前提”としてしまっている。さらに困ったことには、彼らは実際にスーパーパワーを持っているのだ。

この“前提”を批判的に見ない限りは、これからも永遠に、アメリカはテロと戦い続けるのだろう。いや、まて。もしかしたら、そのスーパーヒーローであり続けることが、彼らの望みなのかもしれない。。。


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