2014年3月12日水曜日

3月11日を迎えて——前に進むための“風”化を





ここアメリカは現在、2014年3月11日の昼だ。
日本ではもう3.11は終わり、翌12日の明け方を迎えている頃であろう。Facebookやツイッターを見てみると、「あの日のことを忘れない」という主旨のコメントや、被災地の当時の悲惨な画像をまとめた動画などがたくさんシェアされていた。いざ自分も何かコメントしようとするのだが、ふと手がとまる。一体何をかけばいいのだろうか。


この災害を思い出す意味とはなにか。それは未来への災害対策のためなのか。それとも死者への追悼のためか。はたまた、今も苦労する被災者たちへのエールなのか。もしかしたら、当たり前に感謝することへの自戒かもしれない。それぞれに思うことはあるのだろう。だが、どうも何を考えているのか読み取れないような、無理をしているようなコメントも多い気がする。


とりあえずリツイートしておこう。シェアしておこう。一言いっておこう。多くのコメントからそんな雰囲気を少なからず感じてしまう。そんな僕はひねくれているだろうか。


風化させてはいけないと人々はいう。しかし、「風化」が辞書通り、出来事や事件の“生々しさ”が年を得るごとに薄れていくことをいうのだとしたら、それはむしろ風化させるべきなのではないか。自然災害は戦争と違って、誰も悪くない。ただ惨いだけだ。なぜその生々しさを忘れてはいけないのか。その生々しさを、災害対策という実際的な課題と切り離し、また死者への弔いと切り離し、そして被災者へのエールとも切り離すことはできないのだろうか。あの日の惨たらしさだけを、前へ進むための風に「風化」させることはできないのだろうか。


だから僕は、風化させてはいけないとはいわない。
代わりに、あの日不幸にも亡くなったたくさんの方々のために黙想したい。
そして3年たった今も苦しみ、前を向いて進んでいっている方々を尊敬し、応援したい。
いつ起こるともわからない震災に備え、毎日の“当たり前”を大事にしたい。


あと、日本に帰ったら東北のおいしい食べ物が食べたい!
できればあまちゃんの撮影地だって巡りたい。(もう日本では古いのか?)
とりあえず、帰ったら東北に旅行だ。
※東北が地元の方、どこかおいしい店を教えてくれたら嬉しいです!

0 件のコメント:

コメントを投稿