2014年2月25日火曜日

「アメリカ人は政治的関心が高い」は本当か



「アメリカ国民はみんな政治に関心がある。それに比べて日本人はだめだ」

 僕はアメリカに留学する前まで、多くの日本人と同様に、こう嘆く一人であった。それは現にアメリカに駐在経験のあるジャーナリストから聞かされていた話でもあったため、僕はすっかり信じきっていた。彼に聞いたアメリカ人政治私観はこうだ。

 アメリカ人は政治に関する意見をちゃんと持っている人が多い。カメラを向けてインタビューすれば、日本人より遥かに多く意見が返ってくる。彼らはたとえ意見が違ったとしても友人と政治について議論するし、その議論が終われば頭を切り替えて一緒に楽しく飲みにいく。

 こう語られるアメリカ人はまさに政治的に成熟した市民であり、憧れの対象でもあった。しかし、アメリカに来て半年が経つが、そのようなアメリカ人にはなかなか巡り会えていない。それどころか、政治的関心の薄い人たちばかりであることに驚いている。先のジャーナリストが見たアメリカに対し、今僕が見ている現実は正反対のものなのだ。


 寮の友人たち6人で話していたときのことだった。政治学の授業の話がきっかけで、話題はアメリカ政治に移った。これはチャンスだと思い、例のジャーナリストに聞いたアメリカ人観を話してみたら、「いや...実際は違うよ」と言われた。彼らによれば、アメリカでも政治の話題はセンシティブであり、意見が対立する友人同士ならなるべく避けるという。議論するのは一部の熱い人たちで、しかもプライベートなら同じ意見の人同士で話す場合が多いと言っていた。そしてこれは学生に限った話ではないと。

 これでは聞いていた話とだいぶ違う。では、政治への関心をデータで見てみよう。2012年のアメリカ大統領選の投票率は57.5%で、実はこれは戦後最低と言われた昨年末の日本の衆議院議員選挙の59.32%よりも低い。アメリカ中、いや、世界中がオバマオバマと騒いでいたのに、投票率はこんなにも低いのだ。さらに驚くべきことには、この数字は1968年以来、44年間の中で最も高い数字なのだ。

 例のジャーナリストがアメリカに滞在していたのは1996年から2000年までだ。ということは、彼がいたときのアメリカの方が、現在よりも投票率が低いということになる。それなのに政治的関心は当時の方が高い?もうあべこべだ。

 あべこべついでにもう一つおもしろいデータを紹介しよう。平成21年に行われた内閣府の調査によると、日本の若者の方がアメリカの若者より政治に関心があると答えた割合が多いのだ。関心があると答えた若者は日本で57.9%、アメリカでは54.5%だった。


 このギャップは何なのだろうか。ひとつには、アメリカ人の国民性であろう。日本人に比べ、アメリカ人は自分の意見を主張する傾向がある。これは、実際に暮らしていてよく感じることだ。そのため、たとえそのテーマに特に関心がないとしても、意見を求められたときに何かを言える人が多いのだ。だから街頭インタビューで日本人は「特にないっす」とへらへらしているのに対し、アメリカ人ははっきりと何か言うのだろう。

 もう一つは、ジャーナリストと学生という立場の違いがあるだろう。ジャーナリストは“何かがある”ところに話を聞きにいくのが仕事だ。だからアメリカの一部の熱い人たちが、彼らにとってのアメリカ人になる。一方、何もない田舎の大学に通う学生にとっては、“何もない”凡庸なアメリカに住む人たちこそが、アメリカ人の姿なのだ。


 このように、同じ対象でも相手や聞く人の立場によって印象は180度変わってしまう。そのため、我々は誰がしゃべっているかだけでないく、誰が聞いているかにも注目しなければならない。どんな人であろうと、話を聞く《自分》からは逃れることができないのだ。かくいう僕も、たった二人の青年に会っただけで、「シンガポール青年は素晴らしい!」と断言してしまっているのだから。


2014年2月18日火曜日

嗚呼、シンガポール青年の素晴らしさ!

 先週末、大学の主催するヨセミテ国立公園キャンプに行ってきた。
 参加者は12人だったが、そのうちの8人が留学生だった。僕の大学は留学生の数が少なく、普段キャンパスで過ごしていても会う機会などないので、留学生ならではの悩みやアメリカ観などを交わし、とても盛り上がった。
 その中の一人に、先学期親しかったシンガポール人の留学生と同じ大学から来た青年がいて、彼とよく話をした。アメリカに来てからの数少ない国際交流から僕が学んだことは、シンガポールの青年は実に好青年であるということだ。

 自然の中でキャンプをすると、一緒にいるやつの人となりは結構わかってくるものだ。今回出会った青年のように、先学期仲良かったシンガポール人青年ともよく一緒にキャンプをしたのだが、彼らはどちらも自立しており、とてもよく気が利いた。誰かが何かをやらなければならないときは率先して手を挙げ、テキパキとこなしてしまう。
 僕はその姿に感激し、気になって理由を聞いてみた。すると、どちらの青年も同じ答えだった。それは、兵役である。シンガポールの男性は、大学に入る前に2年間の兵役が義務づけられている。それによってシンガポールの男性は規律を訓練され、自らの手で生きていく力を身につけるというのだ。

 二人とも兵役は本当にいい経験だったと言っていた。これは徴兵制のない日本で育った僕には衝撃的だった。だが、話を聞いてるうちに徴兵制のメリットが少しずつわかってきた。
 それは自立、規律、仲間の3つだ。ひ弱で何もできない僕たち日本男児とは違い、シンガポール男児はそれこそジャングルでもテントを張って生きていける。また、寮での厳しい共同生活も経験しているため、誰もが部屋を綺麗にする習慣を身につけるというのだ。また、マナーもしっかりしている。これは規律訓練の賜物だろう。
 そして何よりも、兵役の2年間は苦楽を共にした一生の仲間ができるという。僕の友人は、その友達なら何があっても心から信頼できると言っていた。それは、訓練で文字通り“命”を預けあったからだそうだ。それを聞いて、正直少し羨ましく思った。

 だが、徴兵制の目的をもちろん忘れてはいけない。彼らはいざというときに戦争に行かなければならないのだ。アメリカの大学で生物学の教授になるのが夢だという先の青年は、もし戦争があったら必ず国に戻って戦うと言っていた。それは、家族や友人のいる母国を守りたいからだ。
 僕はその戦争に疑いがあっても参加するのかと聞いた。すると、彼は少し考えてからこう言った。民主主義国家であるシンガポールは、国民の半分が徴兵される男たちである。当然みんな命は捨てたくないから、合理的に考えて必要のある戦争しか選択しないはずだ、と。
 何かの邪魔で会話はここで途切れてしまったが、これは少し危険だと思った。集団は必ずしも合理的な選択をするとは限らないのに、それを信じて疑わないからだ。事実、ドイツは民主主義だったがヒトラーを選んだのだ。彼はとても思いやりのある好青年で、とても良い友人だ。だから、彼が戦争に行くのを想像して、胸が痛んだ。

 日本に徴兵制があった方がいいかと聞かれたら、答えはNOだ。どんなに立派な青年を育てたところで、その先に戦争があるのは間違っているからだ。
 しかし、徴兵制の代わりに何か規律訓練をする機会があってもいいはずだ。それは男女共にだ。例えば義務教育の一環で厳しい寮生活を課すとか、そんなものがあったらいいと思う。日本の青年とシンガポールの青年の歴然とした差を埋めるには、それしかないのではないか。
 僕がもし女性だったら、日本人男性よりシンガポール男性を結婚相手に選ぶだろう。

2014年2月11日火曜日

坂口安吾「特攻隊に捧ぐ」を読んで

坂口安吾の「特攻隊に捧ぐ」を読んだ。
短いエッセイだが、彼の感性の鋭さが痛いほどよくわかる内容だった。

まず、このエッセイの主張を簡潔に述べている箇所があるので抜粋する。

私は戦争を最も呪う。だが、特攻隊を永遠に讃美する。その人間の懊悩苦悶とかくて国のため人のためにささげられたいのちに対して。
(抜粋:: 坂口安吾. “特攻隊に捧ぐ”。 iBooks. https://itun.es/jp/fa5hI.l)

彼は特攻隊を生み出した戦争というものこそ最も残虐で憎むべきものであり、もう二度と同じ過ちを犯してはならないと誓いながらも、その結果として現れた若者たちの「殉国の情熱」はとても美しく尊いものだと言っているのだ。自らの頭に思い浮かぶ家族や恋人を死と並べて格闘し、国のために命をささげたその苦悩と完結。その無償の行為こそが最も美しいのだと。

この特攻隊の姿に対するあまりの称賛を読んでいると、一見その美を生み出した戦争を讃美しているようにも取れてしまう。しかし、安吾にはその懸念がしっかりわかっていて、その上でこの主張をしているのだ。

私は然しいささか美に惑溺しているのである。そして根柢的な過失を犯している。私はそれに気付いているのだ。戦争が奇蹟を行ったという表現は憎むべき偽懣の言葉で、奇蹟の正体は、国のためにいのちを捨てることを「強要した」というところにある。奇蹟でもなんでもない。無理強いに強要されたのだ。これは戦争の性格だ。その性格に自由はない。かりに作戦の許す最大限の自由を許したにしても、戦争に真実の自由はなく、所詮兵隊は人間ではなく人形なのだ。

とある。しかし、このあとに文章はこう続く。

けれども私は「強要せられた」ことを一応忘れる考え方も必要だと思っている。(中略)その次に始まったのは彼個人の凄絶な死との格闘、人間の苦悩で、強要によって起りはしたが、燃焼はそれ自体であり、強要と切り離して、それ自体として見ることも可能だという考えである。否、私はむしろ切り離して、それ自体として見ることが正当で、格闘のあげくの殉国の情熱を最大の讃美を以て敬愛したい

この“切り離す”態度が僕には素晴らしく感じられるのだ。
戦争のことを考えるとき、我々はつい“善”か“悪”かにまとめて括ってしまいがちになる。しかし、安吾は戦争をきっぱり否定しながらも、そこから切り離して特攻隊の「殉国の情熱」を礼讃しているのだ。その「殉国の情熱」とはただ単純なことで、他を想い、そのために自分を捧げることに他ならない。それは戦争とは一切関係ないことだ。物事を分析するときに、その中から善悪をそれぞれ抽出し、切り離すことの大切さ、難しさ。しかし、それが大事なのではないか。その姿勢を、安吾自身はこう綴る。

我々はこの戦争の中から積悪の泥沼をあばき天日にさらし干し乾して正体を見破り自省と又明日の建設の足場とすることが必要であるが、同時に、戦争の中から真実の花をさがして、ひそかに我が部屋をかざり、明日の日により美しい花をもとめ花咲かせる努力と希望を失ってはならないだろう。

ただ、こういう反論があるかもしれない。安吾は特攻隊員たちを「強制される側」として見ているが、その特攻隊員たちによって殺された家族のあるアメリカ兵たちはどうなのか。彼らは特攻隊によって死を「強制された」人たちではないのか、と。この点に関しては、彼の感性はジャーナリストではなく、芸術家であったと言わせてもらう。彼は特攻隊から指令という強制を引き剥がしただけでなく、殺人という結果すらも剥がしてしまったのだ。あくまでも純粋に、その死との格闘というプロセスだけを抽出して。その抽出された美こそが、このエッセイ最大の魅力と言えよう。

2014年2月9日日曜日

波平の声ー移ろいゆく日常

今アメリカでは時計の針が深夜2時を指している。日付が変わって日曜日になった。日本ではちょうど今頃、サザエさんが終わった頃だ。先日亡くなった磯野波平の声優・永井一郎さんが、生前収録していた最後のエピソードだった。永井さんは1969年にサザエさんの放送が始まって以来、ずっと波平の声優を演じてきた。それは毎週末僕たちを笑わせ、ときに泣かせてきた、日本を代表するお父さんの声だった。その声も今日で最後となる。

お母さんが夕飯を料理をしている間、何気なくテレビをつけ、サザエさんを特に見るともなく流す。それを見たお父さんは、明日からまた仕事か、と少し憂鬱になったり......。放送開始から45年間という長い長い年月。それは、現在日本に生きるほとんどの人の、人生の半分以上を占める時間だ。その途方も無い時間をかけて、サザエさんはゆっくりゆっくり、国民の日常生活の一部になった。そしてそんな日本の日曜日は、今日まで永久に続いていくものだと思われた。しかし、そうではなかったのだ。

慣れ親しんだ波平の声。それは、次の新しい声にバトンタッチされる。初めのうちは違和感を覚えるかもしれない。しかし、またゆっくりと時間が経っていき、人々はその声に慣れていく。その間にまた新しい命が生まれ、昔の波平の声を知らない子どもたちへと、社会もバトンタッチされていく。当たり前だが、日常はゆっくりゆっくり生まれ変わっていくのだと再認識する。波平の声がもう聞けなくなるのだという感慨は、移ろいゆく日常に押し流されていく者たちが、それに一瞬でも気づいてしまった哀れさなんだと思う。僕は日本の日常から遠く離れたアメリカで、そんなことを考えていた。