「またひとり、この世から偉大な人物がいなくなった。」
こういうオシャレなレトリックを使ったつぶやきは大変結構なのだが、その中で一体どれだけの人が、ネルソン・マンデラが偉大だった理由をちゃんと知っているだろうか?
正直、僕は訃報のあと彼の人生を調べるまでほとんど知らなかった。知っていたのは、彼がアパルトヘイトの廃止に貢献してノーベル平和賞をもらい、南アフリカ初の黒人大統領になったという基本的な情報ぐらい。おまけにニュースで彼の顔を見たとき、「全然モーガン・フリーマンに似てねぇ...」と思ってしまったレベルだ。
彼の人生について詳しく説明すると長くなるので、そこはwikipediaでも使って各々でぜひ調べて頂きたいのだが、ここでは僕にとって印象的だったことだけを書こう。
僕もそうだったが、ネルソン・マンデラというと平和主義者というイメージがある。まあノーベル平和賞を取っているから当然と言えばそうだろう。そのため、多くの人は彼が投獄前、ウムコント・ウェ・シズウェ(民族の槍)という軍事組織を作り、その司令官になったことを知らないだろう(もっとも、実際にこれで軍事行動を起こしたわけではないが)
若かりし頃、マンデラは平和主義的な方法で南アのアパルトヘイトに対抗していた。しかし彼は17年にも及ぶ抗議を続けるうちに、状況を変えるのに平和主義的な方法では限界があると感じた。そこで実力行使に方向転換し、民族の槍を作り、黒人労働者たちによるストライキやサボテージュを指揮したのだ。そのため、彼は政府への反逆罪で27年間投獄されることになる。彼の自叙伝によれば、この投獄期間は頭を冷やし、実力行使という手段を見直すいい機会であったと述べている。しかし重要なことに、出所後に彼は黒人の参政権が与えられるまで軍事組織は解体しないと宣言している。その後、彼はアパルトヘイトを廃止し、民族協調へ向けて様々な難問に取り組んでいく。
驚くことに、ここ数日のネルソン・マンデラの訃報を伝えるニュース記事に、これらの情報はほとんど見当たらない。しかし、負の歴史に対して血の滲むような努力で闘い続け、民族に融和をもたらした不屈の精神は、このリアリスト的な一面なしでは語れないだろう。
もしマンデラが投獄されず、頭を冷やすことなく突き進んでいったらどうなっていたか。歴史にもしもはないが、つい想像してしまう。そうであれば、歴史は彼に今と真逆の待遇を用意していたかもしれない。しかし、結果は違った。彼は何度も壁にぶつかることで極限までに現実的に考え、そして投獄中27年間も冷静に潜考した。朝日新聞の天声人語(2013.12.7)は、彼のことをこう讃える。「掲(かか)げるこぶしのあれほど高かった人を、ほかに知らない。」その“理想”に向けて掲げたこぶしは、誰よりも現実的で洗練されたものだったに違いない。
先日「特定秘密保護法」が成立したが、与党も世論も、少しマンデラを見習ってはどうか。何でもすぐに「反対!」と叫ぶメディアや世論は、もっと問題を多面的に見て、現実的で有効な批判をするべきだ。一方、与党はこの重要な法案についてもっと時間をかけて潜考し、洗練させなければならない。個人的には今回の法案には内容の不十分さ、強行採決という手段ともに反対だが、秘密保護自体は外交上必要だと思う。しかし、この議論不足の特定秘密保護法案には不安を抱かずにはいられない。安倍政権の掲げるこぶしは、人を殴るためのこぶしにはならないだろうか。責任は、彼を選んだ我々にもある。法案は通ったが、これからが肝心だ。